第二コリント5章の後半の部分で、パウロは、自分の務めについて話します。罪に陥っている人間と神との間を和解させるために、神はキリストを派遣された、そしてキリストの昇天の後、キリストの働きは今や弟子たちに引き継がれている。

 「私パウロは、キリストの使者としてあなた方に神との和解を勧める務めを負っている・・・」と語ります。続いてパウロは、この神の恵みに仕えるようにと召されている自分がどんな務めを負うかを語ります。もしパウロが躓きを与えれば、ほかの人々は神の和解のメッセージを信じることができなくなってしまうでしょう。パウロもろとも福音も同時に非難され、パウロへの信頼もろとも主イエス・キリストへの信頼も捨てられるでしょう。だから使徒パウロにとって、人に自分がどういうものであるかを表現し、彼はどのように派遣の業を果たしているかを表すことが絶対に必要なのです。

 4節以下、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動々々とずっと彼の艱難が並べられて行きます。原典ではリズミカルな文章でたたみ込むように述べられています。省略されているところを付け加えるとしますと、「苦難、欠乏、行き詰まりにもかかわらず、神の僕として自分を表し」「鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても神の僕として自分を表し」と続きます。
 またパウロは人々との交わりに欠かせない内的な精神の特質について触れ、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛とによって、神の僕として自分を表していると述べます。パウロは聖霊ご自身から特別な賜物が与えられていることを自覚しています。和解の務めを果たすために、パウロは自身への信頼を生み出すあらゆる特質を必要としているのです。ついで神に与えられた福音宣教のための攻撃と防御の装備があげられます。真理の言葉と神の力の証明です。パウロもまた「神ともにいます=インマヌエル」の思いに深く支えられて生きた人なのです。


                              


コリントの信徒への手紙U 6章1〜10節
神共にいます
2002年7月14日